マスター、聞いてくれよ。

･･･ああ、手は休めなくていいよ。ただの愚痴だからさ。
え？･･･有難う。でも、気持ちだけいただいておくよ。本当に、聞き流してもらっても構わないような話だから。
ああ、スプモーニ、もう1杯もらえるかな。

今日は21時頃から大雨が降るっていうからさ、会社を早めに出たんだ･･･そうだな、あれは19時半頃だったかな。うん。
僕は自転車通勤だから、扉を出てすぐ脇にそれを停めててね。
ああ。駐輪場はないんだ。だから、ほんの階段2段分くらいのスロープを上がった、門のすぐ脇に置いてあるってわけ。
で、いつもみたいに、自転車にまたがって、スロープを降りようとしたらさ、どうなったと思う？

･･･はずれ。正解は”サンダルが後輪に巻き込まれた”。
はは、笑っていいよ。僕も自分で言ってておかしいくらいだ。
それで、サンダルが車輪に巻き込まれて、蛇行しながらもスロープを降りるだろ？
でも、降りたすぐそこは駐車場なんだ。社員の。
大慌てだよ。

･･･いや、違うんだ。ぶつかったら怪我する！とかじゃなくて、ぶつかったら車に傷がつく！って。

･･･はは。違う違う。肝が小さいだけだよ。優しいとかじゃなくってさ。
で、大慌てでハンドルをきったんだ。
奇跡的に、車とは接触しないで、僕が転んだだけで済んだんだけどさ。その時の転びようったら。
なんと、顎から落ちたんだ。顎だよ、顎。
僕も22年生きてきて、顎から地面に着地したなんて初めてさ。
しかも、自転車に絡まって、本当に見た事もないような有様になってたよ。

で、起き上がってみたら、自転車がぶつからないように、自分の体を盾にした所為で、左半身至る所を打ちつけててね。
サンダルは随分遠くまで飛んでるし、掌はちょっと皮が剥けたし･･･ほら。



ああ、いいよ。帰ったら娘に絆創膏でも貼ってもらうからさ。
で、起き上がったら泣き面に蜂とでもいうか、雨脚は強くなるし、今気付いたんだけど、掌の皺に添うように切れたりして、もう散々さ。

こんな情けない顔のまま帰るわけにいかないからね。
マスターのスプモーニで、嫌なことは忘れて家に帰ろうってわけ。

･･･ああ、おかげで笑って家に帰れそうだ。そろそろ行くとするよ。
つまらない愚痴を、長々と悪かったね。
え？

･･･ああ、わかってるよ。自転車は押して帰るさ。
ごちそうさま。また来るよ。