牛の首~え、ネタなんてバラしますよ 編
2006年11月03日 14:59
CATEGORY:都市伝説
最近よくまんじゅう喰ってる気がしますlazyです。
寒い冬に向けて、体が脂肪を蓄えようとしております、くそ。
当lazybonesでの検索キーワードでも「ミミズバーガー」なんかが結構上位に来てる辺り、皆様おなか減ってらっしゃるんでしょうか。
と、かなり無理のある引きで、今日は検索キーワードから気になったものを。
これまで、話題にした都市伝説は「ミミズバーガー」と「びびり神社」と、比較的新しめな話だったのですが、今回は古めなところで「牛の首」です。
引用を多く含み長くなる上、ネタバレますので、本日の記事は”続きを読む”よりご覧下さい。
寒い冬に向けて、体が脂肪を蓄えようとしております、くそ。
当lazybonesでの検索キーワードでも「ミミズバーガー」なんかが結構上位に来てる辺り、皆様おなか減ってらっしゃるんでしょうか。

これまで、話題にした都市伝説は「ミミズバーガー」と「びびり神社」と、比較的新しめな話だったのですが、今回は古めなところで「牛の首」です。
引用を多く含み長くなる上、ネタバレますので、本日の記事は”続きを読む”よりご覧下さい。
現在流布している話は幾つかパターンがあるようです。曰く
曰く、牛ノ首衆惨殺事件説(参照:恐怖体験談)
私が一番最初に読んだのは、
これでした。
で、結局どれが本当なんだよ!と言われたら、どれも本当としか言いようがないです。個人的には最初のがオススメ。
と言いますのも、ぶっちゃけこの「牛の首」、もともとは”物凄く怖い話を知っている。口にするのも恐ろしい話だ。私の口からは語れないから他の人間に聞いてくれ”という、『肝心の「怖い」部分があやふやなまま』というシチュエーションを恐がるための話なので。
多分この3つは、「死んでも良いからその怖い話聞きた~い」とか「ねえ、それで結局牛の首ってどんな話なの」とかいう、情緒の無い人々にせがまれた方がそれらしく話したのが流布したものと思われます。
しかし、広く人々に認知されれば、それも立派な都市伝説ですので、それはそれで間違ってないと思われます。
何でもかんでも人が死んだり呪われたり幽霊が出れば怖いだろみたいなのは嫌いなので、lazyは原型のままが一番好きですが。
で、この話、ネット上では暗黙の了解として「どんな話」と聞かれたら「そんな恐ろしいこと、俺の口から言えるか」という、原型に沿った切り返しをするのがお約束になっておりますようなので、お気を付けください。
と、その辺のお約束を丸々無視してネタバレてみました。
人間、もっと情緒を持って生きたいものですね!
天保3年より数年にわたり大飢饉が襲った。俗に言われる天保の大飢饉である。
当時の農書によると「倒れた馬にかぶりついて生肉を食い、行き倒れとなった死体を野犬や鳥が食いちぎる。親子兄弟においては、情けもなく、食物を奪い合い、畜生道 にも劣る」といった悲惨な状況であった。
天保4年の晩秋、夜も更けた頃、この南村に異形の者が迷い込んできた。
ふらふらとさまよい歩くその躰は人であるが、頭部はまさしく牛のそれであった。
数人の村人がつかまえようとしたその時、松明を手にした隣村のものが十数人現れ、鬼気迫る形相にて、
「牛追いの祭りじゃ、他言は無用」
と口々に叫びながら、その異形の者を捕らえ、闇に消えていった。
翌日には村中でその話がひそひそと広がったが、誰も隣村まで確認しにいく者はいなかった。また、その日食うものもない飢饉の有様では、実際にそれどころではなかた。
翌年には、秋田藩より徳政令が出され、年貢の軽減が行われた。
その折に隣村まで行った者の話によると、すでにその村に人や家畜の気配はなかったとのことだった。それ以後、「牛の村」とその村は呼ばれたが、近づく者もおらず、今は久しく、その名を呼ぶ者もいない。
重苦しい雰囲気の中で宿の主人は話し終え、そそくさと後片づけのために席を立った。
役人はその場での解釈は避け、役所に戻り、調査台帳をまとめ終えた頃、懇意にしていた職場の先輩に意見を求めた。
先輩は天保年間の村民台帳を調べながら考えを述べた。
大飢饉の時には、餓死した者を家族が食した例は聞いたことがある。
しかし、その大木のあった村では、遺骸だけではなく、弱った者から食らったのであろう。
そして生き人を食らう罪悪感を少しでも減らすため、牛追いの祭りと称し、牛の頭皮をかぶせた者を狩ったのではなかろうか。
おまえの見た人骨の数を考えるとほぼその村全員に相当する。
牛骨も家畜の数と一致する。
飢饉の悲惨さは筆舌に尽くしがたい。
村民はもちろん親兄弟も、凄まじき修羅と化し、その様はもはや人の営みとは呼べぬものであったろう。
このことは誰にも語らず、その村の記録は破棄し、廃村として届けよ。
また南村に咎を求めることもできまい。
人が食い合う悲惨さは繰り返されてはならないが、この事が話されるのもはばかりあることであろう。
この言葉を深く胸に受け止めた役人は、それ以後、誰にもこの話は語らず、心の奥底にしまい込んだ。
(引用元:現代特殊民話)
曰く、牛ノ首衆惨殺事件説(参照:恐怖体験談)
私が一番最初に読んだのは、
戦前のある村での話だそうです。
その村には森と川を挟んだところに隣村がありました。(仮に「ある村」をA村、「隣村」をB村としておきます。)
B村はいわゆる部落差別を受けていた村で、A村の人間はB村を異常に忌み嫌っていました。
ある朝、A村で事件が起きました。村の牛が1頭、死体で発見されたのですが、 その牛の死体がなんとも奇妙なもので、頭が切断され消えていたのです。その切り口はズタズタで、しかし獣に食いちぎられたという感じでもなく、切れ味の悪い刃物で何度も何度も切りつけ、引きちぎられたといった感じでした。気味が悪いということでその牛の死体はすぐに焼かれました。
しかし、首のない牛の死体はその1頭では終わりませんでした。その後次々と村の牛が殺され、その死体はどれも頭がなかったのです。普段からB村に不信感を抱いていたA村の人々はその奇妙な牛殺しを「B村のやつらの仕業に違いない」とウワサし、B村を責めたてました。
しかし同じ頃、B村でも事件が起きていました。村の若い女が次々と行方不明になっていたのです。
いつもA村の人々から酷い嫌がらせを受けていたB村の人々は、この謎の神隠しも「A村のやつらがさらっていったのに違いない」とウワサし、 A村を憎みました。
そうしてお互い、村で起きた事件を相手の村のせいにして、ふたつの村はそれまで以上に疑い合い、にらみ合い、憎しみ合いました。
しかし、そのふたつの事件は実はひとつだったのです。
ある晩、村境の川にかかった橋でB村の村人たちが見張りをしていました。
こんな事件があったので4人づつ交代で見張りをつけることにしたのです。
夜も更けてきた頃、A村の方から誰かがふらふらと歩いてきます。見張りの男たちは闇に目を凝らしました。そして橋の向こう側まで来たその姿を見て腰を抜かしました。それは全裸の男でした。
その男は興奮した様子で性器を勃起させています。しかしなにより驚いたのはその男の頭は人間のそれではなく、牛の頭だったのです。
牛頭の男は見張りに気付き、森の中へ逃げ込みました。
牛頭の男はA村でも牛の番をしてた村人に目撃されていました。
その牛頭の男こそ、ふたつの事件の犯人に違いないと。A村とB村の人々は牛頭の男を狩り出す為、森を探索しました。 結局牛頭の男は捕まりませんでした。
・・・いえ、実際には捕まっていました。
しかし、男を捕まえたA村の人々は彼を隠し、みんな口を揃えて「そんな男は存在しなかった」と言い出したのです。A村の人々のその奇妙な行動には理由がありました。
A村の人々は牛頭の男を捕まえました。その男は実際に牛頭なのではなく、牛の頭の生皮を被った男でした。A村の人々は男の頭から牛の皮を脱がせ、その男の顔を見て驚きました。その男はA村の権力者の息子だったのです。
この男は生まれつき、知的障害がありました。歳ももう30歳ちかいのですが、毎日村をふらふらしてるだけの男でした。村の権力者である父親がやってきて問い詰めましたが、
「さんこにしいな。ほたえるな。わえおとろしい。あたまあらうのおとろしい。いね。いね。」
と、ワケの分からないことばかり言って要領を得ません。
そこで男がよく遊んでいた、父親の所有している山を調べると、女の死体と牛の首がいくつも見つかりました。異常なのは女の死体の首は切り取られ、そこに牛の首がくっついていたのです。
男は、B村から女をさらい、女の首を切り取り牛の首とすげ替え、その牛頭の女の死体と交わっていたのです。
権力者である父親は息子がやったことが外に漏れるのを恐れ、山で見つかった死体を燃やし、A村の村人に口封じをし、村に駐在する警官にも金を渡して黙らせました。
そして息子を家の土蔵に閉じ込め、その存在を世間から消し去ったのです。
しかし、村の女たちが行方不明のままのB村の人々は黙っていません。
特に、あの夜実際に牛頭の男を見た見張りの4人は、「牛頭の男など存在しなかった」と言われては納得いきません。村人みんなで相談して、その4人が警察に抗議に行くことにしました。
次の日、川の橋に4人の生首と4頭の牛の生首が並べられました。
A村の人々は真実が暴露されるのを恐れ、B村を出た4人を捕らえ、真実を知っているにも関わらず、B村の4人に全ての罪をかぶせ、私刑(リンチ)し、見せしめに4人の首をはね、さらし首にしたのです。
一緒に牛の生首を並べたのには、「4人が牛殺しの犯人である」という意味(もちろんデマカセではあるが)と、「真実を口外すれば同じ目にあうぞ」という脅しの意味がありました。
この見せしめの効果は大きく、B村の人々はもちろん、A村の人々自身も「この出来事を人に話せば殺される」と恐れ、あまりの恐怖にこの事件については誰も一言も話そうとはしなくなりました。
ふたつの村の間で起きたこの出来事は全て村人たちの記憶の奥深くに隠され、故意に忘れさられ、土蔵に閉じ込められた男と一緒にその存在自体を無にされたのです。
(引用元;こわい(゚∀゚))
これでした。
で、結局どれが本当なんだよ!と言われたら、どれも本当としか言いようがないです。個人的には最初のがオススメ。
と言いますのも、ぶっちゃけこの「牛の首」、もともとは”物凄く怖い話を知っている。口にするのも恐ろしい話だ。私の口からは語れないから他の人間に聞いてくれ”という、『肝心の「怖い」部分があやふやなまま』というシチュエーションを恐がるための話なので。
多分この3つは、「死んでも良いからその怖い話聞きた~い」とか「ねえ、それで結局牛の首ってどんな話なの」とかいう、情緒の無い人々にせがまれた方がそれらしく話したのが流布したものと思われます。
しかし、広く人々に認知されれば、それも立派な都市伝説ですので、それはそれで間違ってないと思われます。
何でもかんでも人が死んだり呪われたり幽霊が出れば怖いだろみたいなのは嫌いなので、lazyは原型のままが一番好きですが。
で、この話、ネット上では暗黙の了解として「どんな話」と聞かれたら「そんな恐ろしいこと、俺の口から言えるか」という、原型に沿った切り返しをするのがお約束になっておりますようなので、お気を付けください。
と、その辺のお約束を丸々無視してネタバレてみました。
人間、もっと情緒を持って生きたいものですね!
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